有限会社 内山タイヤー商会

ブリジストンタイヤ正規代理店。タイヤ専門の販売店。タイヤ・ホイールの修理もお任せください。
トップページ > YOKOHAMA コラム

YOKOHAMA コラム

普段の生活の中で、現在の行事やイベント、幕末から明治、大正、昭和にかけての激動の時代など、横浜ぐらしの中でふと気になったことや疑問をごそごそ紐解いています。

よこはまの港がはじける 2023/12/11

  かつて夏の横浜には二つの大きな花火大会がありました。

 ひとつは毎年7月海の日の前日に行われた「横浜みなと祭国際花火大会」。小・中学生の夏休みに入ったばかりの日曜日、この花火を見ると夏休みの訪れを実感する方も多かったのではないでしょうか。
 もうひとつは毎年8/1に行われる「神奈川新聞花火大会」。こちらは平日に開催だったことも多いのに、毎年毎年大勢の人で賑わい、楽しませた花火大会です。

 不景気の影響や来場者数の増大による警備や清掃費の負担増などの理由により、現在この2大花火大会は休止を余儀なくされています。
 ですが、お祭り好きのハマっ子は、開催側も見る人もこんなことでとどまっている人たちじゃありません。

 2012年には「横浜スパークリングトワイライト」の中の花火大会が始まり、2018年には「みなとみらいスマートフェスティバル花火大会」も加わり、「新しい夏の横浜2大花火大会」の様相で開催されるようになりました。

 コロナウィルス感染症の拡大期には中止や規模縮小を余儀なくされました。
 「横浜スパークリングトワイライト」は2020年から3年間、5分間のシークレット花火を夏の時期や冬の澄み切った空の下で行ってきました。鎮魂と再生の祈りを込めての花火です。
 2023年度の今年は場所と日時を公開し、会期を延長して、横浜港上の空を鮮やかに彩ってくれています。
 花火を見る人たちもとても輝かしいです。

 皆様にとって健やかであっていただきたいと願う年の瀬です。


関東大震災100年 2023/09/05

 100年前。
 1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災は、横浜からも近い、相模湾北西部を震源とする巨大地震でした。
 東京都の大規模火災があったため東京の地震と思われがちですが、実際は神奈川県から千葉県南部を中心に震度7から6強の規模で広がっており、相模トラフが震源となった、神奈川県域で発生した地震です。
 マグニチュードは7.9、時刻は昼時に近い午前11時58分。
 建物は倒壊、崩落。地面はうねり、丘の斜面地では宅地の地滑りなどが発生しました。また正午前の時間であったため炊事などで火を使っている家庭も多く、火事も発生。市内289箇所から出火した火はもとからの強風に煽られ、火災旋風と化し、たった1日で地震による火事は横浜の街を焼き尽くしていったのだと聞きます。
 この横浜だけでも、その倒壊・焼失した建物は35,000棟を超え、約26,000人の尊い人命が失われてしまいました。

 現在、横浜市は、神奈川県を含む九都県市首脳会議の中で防災首都圏ネットという取り組みをしています。
 地震、風水害、国民保護、帰宅困難者や感染症などの防災に関わる事柄を首都圏4都県と政令市5市で合同で対策するものです。
 中でも毎年、防災訓練を合同で実施しています。
 今年度の横浜市総合防災訓練は、新横浜公園(日産スタジアム)を会場にして、参加機関約60団体、見学者を含むおよそ2千人が参加して、8月に行われました。
 相模湾を震源とするマグニチュード8.1、横浜市内最大震度7の地震を観測。家屋の倒壊や道路損壊、ライフライン等に甚大な被害が確認され、火災及び多数の負傷者が発生していることを想定して訓練を実行していきます。

 備えよ常に、はボーイスカウトのモットーではありますが、防災の見地からも心に刻まなくてはならない言葉です。


三溪園「観蓮会」 2023/08/10

 「三溪園」では、「観蓮会」があります。
 泥水の中から清らかな花を咲かせることから、徳の高い花として三溪園の創設者・原三溪がとりわけ愛した蓮。夏には1,700平方メートルの蓮池にピンクの花が咲き広がり、蓮の名所として多くの観光客を魅了します。

 「観蓮会」期間中は、早朝から咲き始め昼には閉じてしまう蓮の特性に合わせ朝7:00から開園し、蓮にゆかりがある文化財建造物を学芸員が紹介する「蓮めぐり」、お子様向けの体験型イベント「はすあそび」、涼しい 室内でオリジナル作品を創る「蓮の葉を使った団扇づくり」を開催いたしました。

 来年の夏は自然あふれる三溪園で、大人も子供も楽しめるひとときをお過ごしください。


ゆずの木 2023/07/10

 横浜のゆずの木・清水ヶ丘公園は、ゆずのファンにとっては聖地として有名です。清水ヶ丘公園は横浜市南区に位置し、緑豊かな丘に植えられた大きな木があります。
 この木は柚子の木ではなくエノキですが、横浜出身のデュオ「ゆず」の曲「からっぽ」のプロモーションビデオに登場したことから、ゆずの木として親しまれています。

 ゆずの木は、ドラマや映画、CMでも頻繁に使用されており、一度は目にしたことがあるかもしれません。以下はいくつかの例です。

 映画では「四月は君の嘘」。
 ドラマでは「若葉のころ」「ビューティフルライフ」「ライアーゲーム」「ぼくの生きる道」「海猿」などです。
 実際に現地を訪れることで、今後はCMや映画、ドラマでゆずの木を見かけた際にすぐにわかるようになると嬉しいですね。
 ゆずファンでなくても、ゆずの木の美しさに癒されることでしょう。

 青空と緑のコントラストは本当に見事で、思わず写真に収めてしまいました。


こいつ、動くぞ!...まだまだまだまだ動くぞ! 2023/06/02

 昭和の時代にはロボットアニメがたくさん製作されました。
 味方側はとにかくカッコ良い、敵側は胡散臭くて悪人顔。正義の味方が悪に向かって鉄拳を振るうという勧善懲悪ものばかりでした。
 それもそのはずです。登場するロボットのおもちゃを売る為のアニメ製作が多かったので、とにかくカッコ良いロボ、カッコ良いメカが登場して、子供達の心を掴んでいきました。正にメカありきでお話は二の次でした。
 が、その中で機動戦士ガンダムは異色の作品でした。

 乱暴にも簡単にお話を紹介すると、宇宙移民が地球政府からの独立を目指し、地球連邦政府と戦争をするというストーリーです。それまでの勧善懲悪からは大きく離れ、戦争なんて大きすぎることをするにはそれだけの人々の思いがあるということを当時中学生の私は感じたのでした。
 放映当時こそ視聴率と玩具販売実績は振るわなかったそうですが、二回三回と再放送がかかるとその人気は爆発的に上がってゆきました。
 考えさせられるテーマ、魅力あるキャラクター、群像劇、SF考証などで、大学生を中心にコアなファンを獲得し、打ち切り同然で終了したこのテレビアニメは映画版が編成され、多くの続編も製作されていきました。

 そうして、青春の頃をガンダムで過ごした大人たちが「ガンダムが動くところが見たい、動かしてみたい、自分達で作りたい」と立ち上がり、叡智を集結。
 2020年12月、山下埠頭の地に動くガンダムが完成し公開が始まりました。
 しかし、何と言ってもコロナ禍の真っ只中。緊急事態宣言も延長に次ぐ延長で、動くガンダムを見にいきたくとも涙を吞む人々がたくさんおりました。
 本当は1年間だけの営業公開でしたが、二度の延長決定を得て、2024年3月31日までの営業が決定しました。これが最後の延長になります。
 WHOの緊急事態宣言も2023年5月5日に解除され、訪日外国人旅行者もたくさん動くガンダムを見に来ています。
 外から見ていても迫力がありますが、施設内に入場してガンダムの足元から見上げると、一層と違う迫力に思わず声が出ます。

 来年でテレビ放映から45年目を迎え、新しいファンも増えて、ますます揺るぎないコンテンツとして世界中で愛されています。


ザ・よこはまパレード 2023/05/03

 横浜開港記念みなと祭ザ・よこはまパレードは、横浜市の歴史や文化を祝い、祭りの魅力を市民や訪問者に伝える重要なイベントです。
 横浜開港は日本の近代化と国際化の重要な節目であり、横浜市はその歴史的な意義を誇りに思っています。みなと祭ザ・よこはまパレードは、開港の記念日を祝い、横浜の発展と成長を讃える文化イベントです。このパレードによって、市民は自分たちの街の歴史的な意味や文化的なアイデンティティを再確認し、誇りを感じることができます。

 パレードは横浜市の観光資源としても重要な役割を果たしています。大勢の観光客が集まり、横浜の魅力や観光スポットを広く知る機会となります。これによって、地域経済が活性化し、市内のホテル、レストラン、小売業などが好影響を受けます。さらに、パレードを通じて横浜市の魅力が広まり、将来の訪問者や投資家を惹きつけることも期待できます。

 みなと祭ザ・よこはまパレードは、市民が積極的に参加する機会を提供しています。市民がパレードに参加することで、地域コミュニティの一体感や結束力が高まります。また、市民が自らの手でパレードの準備や参加に携わることで、地元の文化や伝統について学び、継承を得ることができます。さらに、市民の参加はパレードの活気と魅力を高め、市民が楽しんで参加することで、観光客や訪問者にとってもより魅力的なイベントとなります。


三渓園 2023/04/06

 三渓園の歴史は原三渓(富太郎)の養祖父、原善三郎から始まります。
 現在の埼玉県児玉郡神川村に生まれた善三郎は旧家の出身で、実家付近は秩父生糸の一大産地でもあり、善三郎も生糸業を営んでいました。34歳の時に横浜の野沢屋(旧:横浜松坂屋)と取引することになり、横浜の地に居を移すことになりました。機運に乗った善三郎は、横浜の顔をといえる存在になり、その後に三渓園一帯の田畑を購入する運びとなりました。
 三渓の雅号をもつ富太郎は岐阜出身。東京専門学校(現:早稲田大学)を出た後は、跡見女学校の教壇に立っていましたが、教え子であった善三郎の孫娘と結婚。原家に入り、事業を継ぐことになりました。
 この富太郎さん、政治経済を学んでいて実業界にも長けていましたが、同時に美術や風雅の世界にも心を開いておりました。
 日本や中国の古美術品の収集、岡倉天心を通じて当時の画壇の歴々の援助など、原三渓と三渓園は当時の芸術サロンとして、日本の美術界になくてはならないものとしてその地位を確立していきました。収集品は大きさにかかわらず、ついには紀州徳川家の和歌山別荘、徳川家光の建築物、信長の弟の茶室など多くの歴史的建造物を移築させるまでに至りました。
 現在、三渓園は10棟の重要文化財に囲まれた池泉庭園として国指定名勝地となっています。

 四季折々の風景が楽しめるとして、訪れる人々の心を癒しています。


珈琲に魅惑された横浜 2023/03/08

 最近はシアトル系カフェやセルフ式チェーン展開をしている喫茶店があちらこちらに増えました。けれど、昔ながらの純喫茶もオールドファンや常連客に支えられ頑張っているようです。そんな喫茶店の店先によくある「喫茶○○」という看板。よく見ると店名の他にコーヒー会社の名前も書かれていますよね。そのコーヒー会社、実は横浜発祥の会社がとても多いのです。
 キーコーヒー(株)は1920(大正9)年に横浜市中区福富町で「コーヒー商 木村商店」を開き、キャラバンコーヒー(株)は1928(昭和3)年に横浜馬車道で食料品店としてスタートし、三本コーヒー(株)は1957(昭和32)年に日ノ出町駅近辺で創業し、各社とも発展を遂げました。

 こんな話もあります。1908(明治41)年、新天地を求めた第1回ブラジル移民が、サンパウロに向けて神戸港から出発し、その2年後、初めてのブラジルコーヒー豆が荷揚げされたのも横浜港でした。
 また、日本初の喫茶店が元町で開店したという話も(1862(文久2)年)あります。
 ここ横浜は実にコーヒーとは縁が深い土地なのです。
 焙煎したての、あの香ばしくも甘い薫りに包まれるのはとても気分の良いものですね。


横浜と絹の深いつながり 2023/02/01


 シルクロード。
 その交易路で、殊に珍重された、柔らかくしなやかで魅惑の輝きの絹織物。
 東の終着地である日本では、すでに弥生時代には養蚕の技術が伝来し、一通りの生産が始まっていました。
 長い間、献上品として生産され、ごく一部の人しか手にすることが出来ませんでしたが、江戸時代に転機が訪れました。
 町人の文化の華やぎと、幕府以下諸藩の財政再建の思惑とが見事に合致し、その生産性を高めて行きました。品質も紡織技術も向上し、錦や羽二重、ちりめん、粋好みにはお召しに紬、と多くの絹織物が生まれました。

 江戸に近い各地で生産された繭は、群馬や信州などに集められ、それらがまた八王子宿に一挙に集積され、甲州街道を上って江戸に送られるという形で、流通のための基盤も整備されて行きました。
 1908年には、生糸を横浜港に運搬する目的で、現在の横浜線の元となる民間鉄道「横浜鉄道」が開業し、絹は国の殖産を担う基幹産業へと成長を続けることになっていったのです。

 貨客船氷川丸などにもシルク専用のシルクルームが設けられ、多くの絹が外貨獲得のため横浜港から旅立っていきました。
 最盛期には4万戸を超えた神奈川県内の養蚕業ですが、国の助成金の打ち切りを受けて、2010年には県内すべての業者が廃業を決めました。
 とてもお世話になったのにお礼も言えなかった、後悔のような気持ちになります。


山下公園 2023/01/09


 横浜の観光地として、定番中の定番である臨海公園「山下公園」。
 横浜港を一望できるこの公園からの眺めは、パイロット船タンカー貨物船などのものから、観光船や豪華客船と実に賑やかです。
 そこで船を見る私たちの足元には無数の瓦礫が詰まっています。
 この山下公園は関東大震災の復興事業として造成されました。

 震災で出た市内の瓦礫などを大正14年から4年がかりで埋立てて、昭和5年3月に「山下公園」として開園しました。その5年後には復興博覧会が行われ、たいへんな賑いを見せたそうです。
 戦後は米軍に接収されカマボコ型の兵舎が並んでいたそうですが、 昭和29年から段階的に解除され、昭和36年には再整備が完了しほぼ現在の姿となったそう。その後、昭和63年に行われた横浜博覧会に合わせて公園の東側に地下駐車場と上部の公園が整備されました。
 園内にはサンディエゴ市から贈られた"水の守護神"、童謡で馴染みの深い "赤い靴履いてた女の子"の像や"かもめの水兵さん"の歌碑、"インド水塔"など数多くの記念碑などがあります。
市の花であるバラをたくさん植えた沈丁花壇などもあり、今では市民にとってなくてはならないオアシスとなっています。

 今年は関東大震災から100年目を迎えます。
 備えよ常に。
 身が引き締まります。